心の変化
社会人になって、最近自分の心に変化があるなと最近はっきりと分かるような気がする。
基本的に私はネガティブで、特に学生時代は自分に自信が無く、その自信の無さを「謙虚」とはき違えて生きていた。だから、失敗すると「なんでいつも自分はこうなんだろう…」と自分を責めていた。
だけど、最近その考え方は減ったように思える。何かに失敗したときに少し落ち込むことはあるが、「仕方ない」とか「これをいい勉強にしよう」というように前向きな考え方が出来るようになったと思う。
そうなったのは「他人にどう思われてもいいや」と考えられるようになったからだと思う。以前の私は他人の目を気にして「嫌われないように」、「他人に変だって思われないように」とそんなことばかり考えていた。
だけど、それが何?私がこうしたいと思って実行したあるいは発言しただけ。もちろん、誰かを傷つけることや迷惑をかけることはダメだけど、そうでなければ良いよね。そういう思考にようやくなれたのだ。
これはおそらく私が社会人になったのが大きいと思う。社会人は1人でも何も思われない。だけど、学生時代は「出る杭は打たれる」というように、どこかの輪に居ないと1人になる。そして1人になると孤独をより感じる。例えば大学の頃、学食で昼ご飯を1人で食べることがごく稀にあった。あの時は周りが友達と楽しくご飯を食べていたからすごく辛かった。だからそれを避けるために友達にLINEで一緒に食べないか聞いたりしていた。
だけど、もしこれが1人で食べても平気なら私はそんなことしなかったと思う。すべては「1人で食べている=可哀想、友達いない」と思われるのが嫌だった私の「可哀想な思考」だったのだ。だけど、当時の自分を責めたり嘲笑うことはしない。だって、その時はそれが自分の考え方だったのだから。
学生の頃も楽しい思い出はあるが、正直社会人になった今の方が気は楽だ。1人でいてもいい、誰かに合わせなくていい、自分らしい生き方ができる。学生時代特有の常に誰かといなくてはならない、グループに属していないといけないという縛りがない
。私は解放されたこの時を思う存分楽しみたいと思う。未だ過去の性格に引っ張られて足踏みをする自分から前進したい。
やっぱりポジティブが良いということ
最近、ふと思ったことがある。
ネガティブな人よりポジティブな人の方が第三の目から見ても良いということ。
そう思ったのは2人のYouTuberを比較してのことだった。
ネガティブで浮かんだのは「エミリン」
彼女は自分がブスであることや、友達がいないことなどそれらをネタにした動画を出すほど基本的にネガティブな人である。
最近はオシャレにも目覚め、努力をした結果、ネガ動画を出している頃から格段に可愛くなっており、最近はネガ動画を出していない。
年齢も同い年で私もネガティブな方なので、どこか同じ気質を感じていた。
「【ブス必見】ブスを受け入れてブスとして生きていくー。」
「友達が少ないヤツのリアルな悩み。」
代わってポジティブなのは「そわんわん」
彼女も自分がブスであることを自覚(?)している。しかし、エミリンと違うのはそれをネガティブにはせず、笑って対処出来ているところだ。
彼女のスゴいところは自分を客観視出来ているところ。小学生の頃にイジメを受けていたが、ある日いじめっ子達が突然態度を変えて遊ぼうと言った時に「くだらんな」と思ったらしい。私には到底出来ない思考だと思う。私もだったらきっとホッとして、その子たちに嫌われないように合わせることしか考えられない。けど、彼女は逆に合わせるのを止めようと思ったらしい。
もうひとつスゴいのは「受け入れられる強さ」
どんな意見があっても受け入れられる。人は否定的な意見を言われると落ち込んでネガティブなったり、怒りという感情になってそれが悪口につながったりするが、彼女は受け入れている。
それを二十歳そこそこで出来ているのだから私には衝撃的である。
「うちの自己肯定感」
そわんわんも辛い過去を経験している。
だけど、違うのはやはり「受け入れ方」だと思う。
彼女は辛い経験をプラスでもマイナスでもなくまずは「受け入れる」。そしてその経験を確実に糧にしている。
なんだかそわんわんを褒めてばかりだけど、結論としてポジティブの方が自分にとっても他人にとっても良いということ。
ネガティブが悪いのではないけれど、プラスに生まれはしない。こう思うのは私も根がネガティブだからだと思うけど。
今回2人を比較したのは職業と体型が似ていたからだ。エミリンも確実にポジティブになりつつあると思う。私も前のようなネガティブさは無くなりつつあると最近思う。
無駄なポジティブさは要らないけど、自分はダメだと決めつけずに気楽に生きていければと思う。
「おいしい給食」の魅力
おとといの日曜日で毎週楽しみにしていたドラマ「おいしい給食」が最終回をむかえ、今は寂しい気持ちでいっぱいだ。
「おいしい給食」とは1980年代の中学校を舞台に「給食絶対主義者」の教師 甘利田幸男(市原隼人)と「給食マニア」の生徒 神野ゴウ(佐藤大志)の給食にまつわる闘いを描いた学園グルメコメディである。
甘利田先生はゴウくんのアレンジした食べ方に「うまそげじゃないか!」と悶えながら毎度完敗しているのだけど、正直本当にくだらなくて面白い。
このドラマを見るきっかけはBSに「BS12 トゥエルビ」というチャンネルがあるのだが、日曜の夜に時々BSのチャンネルを回しては「おいしい給食」が放送していて、市原隼人がドラマやってるなーとなんとなく見ていた。
しかし、よくよく見るとこのドラマ面白いかも…?と気になり、ちゃんと見ることにした。既に中盤に差し掛かっていたが、基本的に話が単発なので途中から見てもさほど問題はなかった。
結果として最後までドラマを見終わり、映画も見に行くほどのファンとなってしまった(笑)。
映画に関しては最後号泣するほど。一見くだらない雰囲気があるけど、奥深い作品だった。
正直給食なんて当時はただそのまま食べていたので、ゴウくんのようにアレンジをしようなんて思いもしなかった。だから、すごく新鮮で興味深かった。
加えて甘利田先生とゴウくんの給食に対する情熱にも感動したし、私も給食はいつも楽しみだったから見てて懐かしさでいっぱいだった。
たった1話30分のドラマだったけど、出会えて良かった。
もしまた再放送があったら見よう。
自分の個性を出すこと
異動して1年。割と緩い部署から堅い部署に移ってどこか自分の個性を見失っていたような気がする。「ちゃんとやらなきゃダメ」、「ボケやあほをしてはならない」とその部署に合ったカラーでいなければならない、と時に迫られた気分になった。
だから、気疲れや精神的な疲労が多かった。もちろん、仕事はちゃんとやらなくてはならないし、べつに誰かにこうしろと言われた訳でもない。この部署が悪いとかそういうことではなくて正直私がこの部署に合わないということだと思う。
でも、このままで良いのだろうか?私は今までも自分の個性を出すことよりも「他人に見られる自分」を気にして生きてきた。だから大した人生ではなかった(とはいえ無駄な人生とは言わない)。
私はもうこれ以上、何もしなかったことを後悔したくない。それは仕事でもプライベートでも。20代後半に差し掛かったから、何か制限時間がある気がするのだ。若い頃をこれ以上失いたくない。無駄にしたくない。
自分を大切にすること
こう考えるようになったのは7月末に突然振られてからだ。
意味が分からず、恋愛に疲れ、自分を見直そうと思った。
今まで付き合っても長続きしないのは単なる男運が悪いのではなく、この私にも原因があるのではないか?と思ったからだ。
今までの私は「他人に振り回されてばかり」だった。
LINEの返信が遅くなったら大騒ぎ。嫌われたのではと頭を抱えることが多かった。そしてその吐け口は大体妹だった(今思えば本当に申し訳ない)。
もう少し自分に自信を持った方が良いよってその度に言われて、その時は理解があまり出来なかったのだ。
しかし結果はこのザマ。何が悪かったんだろう。どうしていつもこうなんだろうって悩んだ。今もその答えは出ていないけど、確かなのは私はもっと「自分を大切にすること」が必要だったこと。
簡単に体を許したり、いつも相手の事ばかり考えてたら相手に合わせたりとか。何もかもが相手に委ねて、自分のことは後回しで相手に少し依存してたと思う。
そして振られて自分を見直すキッカケになった。
相手がどうではなく自分はどう思うのか、自分の頭で考えて行動に移す。そしてその行動に責任を持つ(自分ファースト)。
他人を変えることは出来ない。しかし自分を変えることは出来る。
私はこれらを信条に自分を見つめ直し、自分が納得出来る人生を歩みたい。